スタージャッジ 第4話
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「昨日は簡単な挨拶と自己紹介だったね。もう一度言ってみようか」
ランチを食べ終わってから、また標準語の勉強です。マゼランがねぇ、ほんとに先生みたいです。スタージャッジのお仕事が嫌になったら、学校の先生になったらいいのではないでしょうか。

「えと、『ハジメマシテ』と『イイソラデスネ』。それから『ワタシノコトハ陽子トヨンデクダサイ』あと『アリガトウ』」
「OK。うまいうまい」
面白いでしょ? 雨が降っててもやんなるぐらい暑くても、朝でも夜でもとにかく「いい空ですね」って言うの! なぜかというと、たとえば太陽が苦手で雨が好きな人もいるし、暑いほうが調子がいい人もいる。とにかくいろんな人がいるからなんだって。

宇宙標準語は完全に作られた言語なんだそうです。「地球だとエスペラント語みたいなもの」とマゼランが言ってましたが、ごめんなさい、あたしそんな言葉あるって知りませんでした(汗)。
作られた言葉だからとても規則正しくて、同じ意味を表す単語もできるだけ一つにしたり、不規則動詞みたいなのも作らないようにしてるんだそうです。あと、標準語には何種類かあるけど、それは発声器官の形によってしゃべりやすいよう発音を変えてるだけで、構造や意味合いは同じなんだそうです。

「宇宙でもやっぱり握手ってあるの?」
「地球みたいな握手はないかな。友達だと別れる時、手や翼の先とか尻尾とかを少し触れ合わせたりするけど」
「フクロウさん事件の時、刑事さんがやってた掌を上に向けるのは? あれは握手じゃないの?」
「あれは尊敬を含めた感謝を示すもので、そう頻繁には使わないと思う。あの時はびっくりした」
「どうして?」
「自然人はビメイダーに対してそういうことはしないと思ってたから」
「そうだったの‥‥。あ、"彼女"とか"彼"っていう言葉はあるの? 宇宙でも男性と女性はあるんでしょ?」

「宇宙でも二つの遺伝子から子孫を残すのがポピュラーだから、大きな細胞を提供するほうが"女性"になる。ごくたまに無性生殖できる種族もあって、その場合は名前で呼ぶ。ああそうだ。あと標準語だと、一人称主格つまり"I"を使わないことがよくある」
「えっ だってごく普通に『私は』って言いたいときはどうするの?」
「単純に省略すればいい。主語がない文は主体が主語とみなされる」
「人称による動詞の変化はないんでしょ? 主語を省略したら話者がわからなくなっちゃわない?」
「だから一人称以外の主語は省略しちゃだめ。省略すると全部君が言ったりやったりしたって理解されるから。命令も命令文頭語から始めて、二人称の省略はしない」
「うわ‥‥。あ、じゃあ『一般的にこう言われてる』というような時は? 『みんなは』ってつければいいの?」
「"一般的に"こう言われてるっていう言い方はできるだけしないのが基本かな。あまりに多様だから、何が"一般"で、何が"みんな"か、わからないんだよ。伝聞は『○○博士が○○論文でこう言ったと先生が教えてくれた』みたいに、できるだけ厳密に言えって教科書には書いてある」
「‥‥た、大変だ‥‥」

多種多様な人達ができるだけ早く覚えられるように、差別的なことや無責任なことは言いにくいように、色々考えて作られてるんだなって思いました。
やっぱり宇宙ってすごい。たとえば国連が標準語を作ってくれたとして、みんな素直に使ってくれると思う? あたしだって英語が使えるからいいやって、心のどこかで思ってたもの‥‥。でもそれじゃだめなのね‥‥。

「どうした? 疲れたかい?」
「ううん。違うの。なんだかこの言葉使ってたら、みんなとても頭良くて優しい人になれそう」
マゼランがびっくりした顔をします。
「標準語に対してのそういう感想を聞いたのは初めてだ」
「そう?」
「あ、いやまあ、わざわざ感想を尋ねたことも無いけど‥‥‥。言語は人の思考を規定するって僕も学習したけど、標準語の場合、これを母言語とする自然人はいないんだよ。連合の職員はもちろん学習してるけど、旅行ぐらいならたいてい翻訳機を使う。それぞれの星の言葉と標準語の双方向翻訳機があれば、それで済むしね。無味無乾燥で情緒的な表現がしにくい標準語は言葉じゃなく、ただの状況記述言語だって、標準語に拒否を表明してる学者や作家も多いよ」

「そうなんだ‥‥。でもね、この言葉に比べると、英語も日本語も自分と同じ人のことしか考えてないよね。使う人の常識が前提だから、習おうとすると"常識"と"言葉"が鶏と卵問題になっちゃう。でも言葉のいちばん大事なことは、知らない人と意志疎通することでしょ? だったら規則的で味気なくても、このほうがずっといいよ。自分の常識を消すことで、逆に相手の常識のことを考えてあげてるんだと思うの。それってすごく優しいことだなって思って、感動しちゃった」

マゼランがまじまじとあたしを見つめました。
「僕は君と話してるほうがよっぽど感動する。"無常識"の話なんてしてもないのに」
「無常識? 非常識じゃなくて?」
「非常識はお互いに共通の常識があるはずなのに、それを知らないことだよね。無常識は異なる世界の人と相対した時は、常識は無いものとして考えるってこと。標準語には確かにその考え方が入ってる。君はそれを優しさの表れだって思ったんだね?」

「うん。‥‥あ、そうだ。マゼランの母国語は何語になるの?」
「ああ、僕みたいな連合のビメイダーは全部の標準語を理解するように作られてて、指示を受けたり報告するときも全部標準語を使う。他の言葉は任務の遂行に応じてあとから勉強する」

「そっか。だからマゼランは優しいのね。ずっとこの言葉で考えてきたから」
マゼランが面食らった顔をして、目をぱちぱちさせました。
「‥‥いや‥‥僕の場合は‥‥。‥‥こう作られたから‥‥じゃないのかな?」
もごもごとそういう彼の顔は妙に子供っぽくて、あたしは笑い転げちゃいました。




大怪我をしたまま本部と連絡を取って、色々びっくりするようなことを言われたのに、マゼランはすぐに冷静ないつものマゼランに戻りました。で、彼はまずあたしに、グランゲイザーのバスや部屋の使い方を教えてくれたんです。地表に居るのとあまり変わらない感じで生活できるって、考えるとものすごいことなんですが、あの時のあたしは、ちょっと変わったホテルに来た、ぐらいに受け止めてたみたい。なんか、感覚が麻痺してました。
白い人にあたしがさらわれたあと、マゼランは神月島から直接このお船に帰ってきたわけですが、その時ちゃーんと旅行の荷物を全部持ってきてくれてたんです。着てた服がぼろぼろだったから、着替えや身の回り品があったのはほんとに助かりました。

バスから出たら、身体を治してるから何か食べて眠ってて欲しいってメモがあって、あと変わった入れ物にオートミールを入れたスープが入ってました。インスタントのスープにオートミール入れて食べるの大好きで、便利だから旅行にも持ってきてあったの。ラバードさんを見送った日の翌日の夕食ぐらいの時間で、丸一日何も食べてなかったことになるんですよね。でも食欲はほとんど無くて、それ一杯でお腹いっぱい。でもあったかくて美味しかった。

以前聞いたのですが、マゼランはチョコレートのエネルギーだけで生きていけるのだそうです。あと必要なのはお水ぐらい。食事もできるけど、"美味しい"というのはよくわからないと言ってました。嗅覚や味覚って、マゼランにとっては成分分析のために必要な感覚だったみたいで。でもあたしと付き合うようになって、あたしの好きな食べ物、ちゃんと覚えてくれたんですね。自分が知らないことなのに、あたしが喜ぶことをやってくれる‥‥。それは本当に優しいことだと思うんです。

じゃあ、あたしはマゼランに何をしてあげられるの? マゼランのパートナーになれても、どうしてあげたらマゼランの役に立てるでしょうか? あたしはテーブルの上に頬杖をついて、考え始めました。

ママとパパの写真を見るたびに、あたしもこんなふうに誰かと二人で生きていきたいなって思ってました。お互いにお互いのことを何より大事にして愛し合い、絶対的に信頼できて、なんでもお話できて、とにかく一緒にいるだけで幸せになるような、そんな関係。でもそういう関係がずーっと続くことは、実際はそんなに無いって、友達には言われました。パパとママが喧嘩ばっかりとか、殆どしゃべらないとか、離婚しちゃったとか、そんなお友達も多いんです。

だから、今がどんなに幸せでも、一生懸命に相手や周りを観察して、気づいて、考えて、努力していかなきゃいけないんだと思うんです。これから行く場所でも、マゼランを理解できるように、ちょっとしたことでも気に留めて‥‥。とにかくまず標準語を覚えなければなりません。バレッタが無くてもお話できるように。

あたしがマゼランと一緒にいられる時間は、マゼランの人生の中で言ったらほんのちょっとです。だからとびっきりの時間をあげたい。そしてそれはあたしにとってはとても素敵な一生のはずで、ママのようにとても幸せな人生なのではないかと‥‥‥‥



いきなり肩をゆさぶられて、あっと顔をあげました。座ったまま寝ちゃってた!
「マゼラン、ごめん、つ‥‥」
振り返ってそこにいる人を見て、あたしは椅子から落ち‥‥そうになったのですが、その人が掴まえてくれました。背があたしの二倍ぐらいあって、全体は羽毛に覆われて翼もあります。顔も鷲っぽい? 目は二つでくちばしも有ります。あたしの腕を掴んでる手は五本指だけど、指が二本と三本に分かれてました。

〈君がヨーコか。0079の友達‥‥いや恋人だな〉
「は、はい」
そう答えてから、慌てて首を縦に振りました。バレッタは片道翻訳しかしてくれないので英語は通じないの。
〈オーディと呼んでくれ。元スタージャッジ0024で、0079の前任者だった。聞いているか?〉
はい。マゼランの血文字にあった先輩はこの人だったのね。
〈0079は修復中だな? 君自身の治療は終わっているか?〉
あたしはまた頷きました。ああもう、早く標準語、勉強しなきゃ!

〈本部と維持省の報告は読んでいる。ヴォイスの話では君は0079のパートナーになりたいと思っているそうだが、本当か?〉
あたしは何度も頷きました。
〈彼はビメイダーだ。君は未接触惑星の住人とはいえ自然人だ。それでもか?〉
もうこの問いは飽き飽きです。あたしはもう一度大きく頷きました。
〈ならばこっちにおいで。君に0079のことを見ておいてもらいたい〉

え!? それって、ちょっと待って。あたし治療してたときハダカだったけど、マゼランもじゃないの!? えっと、待って、それ、だめ、恥ずかしい‥‥!

顔がすごく熱くなって、あたしは首を振ってオーディさんのことを引っ張りました。ああ、相手の表情がわからないって、なんて困るのかしら!

〈嫌なのか? 0079の身体が作り物であることを見るのが?〉
あたしは怒ってぶんぶんと思いっきり首を横に振りました。ちがうの。そーゆーことじゃないの!
〈地球の習慣にかかわることで拒否してるなら、捨ててくれ。もし君に現実を見る勇気が無いなら、私は君に記憶処理をして地表に送り届けるつもりだ〉

あたしはどきりとして固まりました。この人、本当にマゼランのことを心配してる‥‥。あたしが後になってから色々びっくりして、マゼランがそのことで傷つくんじゃないかって。

覚悟したつもりで、あたしってなんて浅はかなの‥‥。オーディさんの手を離し、その目を見上げて大きく頷きました。ごめんなさい。マゼランが怪我をした時に助けにならなくて、いったいなんのパートナーでしょう。


オーディさんに連れていかれたのは飛行機の倉庫のそばの部屋でした。大きく破壊されて転がり込むことがあるから、というオーディさんの言葉に胸が苦しくなりました。この人はマゼランの前、時々交代してもらいながらとても長いこと地球の担当をしていて、何度もそういう経験をしたそうです。

部屋は薄暗かったですが、奥のほうに淡い光を浴びて、横になった大きな円筒形の水槽のようなものがありました。そのちょうど真ん中あたり、マゼランが仰向けにふわんと浮かんでいます。

近寄ったあたしは、息を呑んで立ち止まりました。かくんと仰け反ったマゼランの顔。開いたままの目がガラス玉のようで、マゼラン全部がまるで人形のように見えました。彼の胴体、胸から腰にかけて皮膚がなく、機械が剥き出しになっています。お腹の左半分のあたりは、あたしの目から見ても"壊れてる"ってはっきりわかる。水槽の中には小さな機械がたくさん動いていました。左腕も肩から肘ぐらいまでは普通に見えますがその先はやはり機械。皮膚でおおわれてるところにもあちこち泡がびっしりついてました。

〈かなりの損傷だったんだな。よくもったものだ〉
その声に振り返ると、水槽の片側にあるパネルを見ていたオーディさんが説明してくれました。
〈彼は今、すべてをバックアップされて、エネルギー供給も全てのインターフェースや割り込みも完全に遮断されている。ここまでの処置が必要ということは修復が必要になる範囲がかなり広かったということだ〉

あたしは水槽のすぐそばまで近寄りました。両膝を床につくと、マゼランの浮かんでる高さとあたしの目の高さがおなじになります。本当に、ここまでしなきゃ治らない怪我だったんだ‥‥。なんだかまた涙が溢れてきました。
〈泣いているのか? 多少時間がかかるが、これならきちんと治るぞ〉
あたしはほっとして、オーディさんに軽く頭を下げました。

マゼランは地球を守るという使命を与えられて、それを2400年ずっと実行してきました。自分が辛いことにも気づかずに、ただただ一生懸命に‥‥。そのように"作られた"からであっても、それは誠実さの顕れであることに変わりはないと思います。そして彼は、その誠実さであたしを愛してくれてる。この機械の身体を見ていると、その気持ちもずっと変わらないのだろうと確信が持てるのです。

戸惑いながら"今"にたどり着いたこの人の心には、どこか小さな子供の純粋無垢さが宿っていて‥‥。それを絶対裏切ってはいけない。あたしの命ある限り、この人の心を傷つけることだけはしてはならない。マゼランに比べたら人間のあたしは色々と不完全なんでしょうけど、自分が何をすべきで、何をすべきでないかは、わかっているつもりです。

本当はマゼランが治るまでここに居たい。でも目覚めた時にあたしがここに居ることが、マゼランにとっていいことなのかどうかがわかりません。でもそういうこともこれから少しずつわかってくるのでしょう。だから今日はあっちの部屋で待ってるね。

あたしは水槽のガラスに頬を寄せて目を閉じて、心の中で言いました。

マゼラン、ゆっくり休んでね。あたし、貴方のこと、ずっと愛してるから‥‥。

立ち上がってオーディさんのところに行きました。
〈0079を裏切らないでくれるんだな〉
オーディさんの声はさっきよりずいぶん優しくなったように聞こえました。あたしはにっこり笑って頷きました。

大丈夫です。あたしの気持は変わらない。マゼランがあたしを幸せにしてくれたと同じように、あたしもマゼランを幸せにしたい。それだけです。

2013/04/25

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