スタージャッジ 第3話
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あんなに青かった空がつと色褪せ、驚くほど早く赤に変わり始めた。
海は相変わらず輝いているけど、反射光の波長がどんどん長くなってる。
陸地を見やれば木々の緑がシルエットと化しながら、鳥達を迎え入れてた。

二千四百年もの間、僕は地球の何を見てきたのだろうと思った。

冷めてきた海風が髪の中に潜り込んできて気持ちがいい。海辺で遊んでいた家族連れは宿やバンガローに帰ってしまった。静かになった分、岩だらけの海岸にぶつかっては散る波音が細部までしっかりと認識できる。文字通り海と山の境目で両方の景色を独り占めして、なんだか贅沢な気分だ。

夕焼けは深くなり、周りの空気までが朱に染まっていく気がして、そこではっとした。僕はずいぶん長く、ただ風景を見てたんじゃないのか?

僕は慌てて隣を見て、微笑みを含んだ眼差しとぶつかった。陽子の色白の頬は夕陽の色を映して紅の色。だがその表情は僕を包み込むように優しい。無地のワインカラーのクライミングパンツにグレーのTシャツ。グリーンのチェックのシャツを肩にかけて無造作に袖を結んでる。島にきてからは手慣れた調子で手際良く物事を進めていくから、街にいた時の危なっかしさが嘘のよう。豊かな栗色の髪をグリーンのリボンできりりと束ねた陽子はどこか大人っぽくて、ちょっと勝手が違うのすら不思議に楽しい。

「‥‥あ。あんまりきれいなもんで、つい‥‥」
僕の言い訳めいた言葉に陽子はにっこりと笑った。
「そうね。明日もいいお天気になりそうで、良かったね」
そういうと陽子はいきなり足下の岩に足をかけて伸び上がり、僕の首に手を回した。
「マゼラン、大好きよ」
「僕もだよ。君が大好きだ」
たった一ヶ月前には"好き"という言葉の意味も知らなかった僕は、少女をそっと抱きしめた。華奢でしなやかなその身体は、僕の腕に直接記憶を刻み込んでる。どちらともなく互いの唇を求め、羽が触れるようなキスをした。

僕――スタージャッジ0079――は、地球人の少女、陽子・ジョーダンと日本の小さな離島に来ていた。任務じゃない。ただ「遊びに」だ。本土から百五十キロメートルほど離れた面積二十平方キロメートルぐらいの島。遙か昔に火山で隆起したもので、中央部の山からなだらかに続く裾野がそのまま海の中に続いている。
僕らがいる場所は岩場だけど、ちょっと行ったところは砂浜に整備されている。山に続くゆるやかな斜面はキャンプ場になっており、少し登れば木々の間にバンガローも用意されていた。陽子は父親のジョーダン氏とここにキャンプに来たことがあって、とても気に入っていたんだそうだ。
ちなみにジョーダン氏は十日ほど前にアメリカに帰っている。陽子は結局、僕と一緒にいるのだと父親を説得しきった。たった三ヶ月だと泣いた陽子の声がまだ耳に残っている。

ひょんなことから陽子に取り込まれてしまったビメイダー用の高純度エネルギーHCE10-9は、まだ半分以上彼女の体内に残っている。エネルギーを一番安全に回収する方法は僕が陽子にキスをすること。僕がスタージャッジであることもキスの意味も解った上で、陽子は僕と一緒に居ることを選んでくれた。そして僕はただその現実に甘えている。
陽子を眠らせてできるだけ早くエネルギーを回収し彼女の記憶を消してしまうという最適解通りに動くのが僕はいやだった。それはビメイダーとしてあり得ないことだったけど、第六感(マイニング)回路は大丈夫だと囁き続けている。僕は今、思考や出力をハイレベルにチューンされた時に似た、高揚と不安定の入り交じった状態にあった。


陽子が僕の腕を取った。
「バンガローに戻ろ?」
「ああ」
もう一度夕焼け空を振り仰いだ僕は、遥か上空にチカッと光るものを見た気がした。
「どうしたの?」
「いや‥‥なんだろ。何か‥‥」

そのとたん、頭の中にグランゲイザーのエマージェンシー・シグナルが割り込んできた。上空百十キロメートル、ものすごい勢いで地表に向かって飛行する物体がある。ほとんど"落ちて"いるに等しい。大きさから考えて人工衛星やスペースシャトルじゃなさそうだ。
「陽子、悪い! バンガローで待ってて!」

丸い目で頷いた陽子を残して、僕は三歩だけ内陸側に駆け上がると飛び上がった。宙には、陽子が以前「銀色タマゴ」と言ったカプセルが既に待機していて、僕の身体はそれに包まれて上昇する。
このカプセルは簡易電送システムを内蔵した高速移動機だ。単純移動の際はサポートスーツよりムダが少ないからこいつで飛ぶことが多い。必要になった時にグランゲイザーから呼び寄せるが、今のようにゲイザーが熱圏にいるなら数秒で到着する。
ただそのスピードで移動できるのはあくまで搭乗者がいない時だ。だからゲイザーに急いで戻らないとならない場合は僕自身を電送させる。原子レベルに分解されて再構築されるなんて、やりたくはないが仕方ない。まあ僕のようなビメイダーは、もともと設計図通りに"構築されて"生まれるわけで、自然人に比べれば電送のリスクは少ないと言える。

あちこちのチップやパーツが微妙に緩んでるような気持ち悪さを感じながら目を開けると、もうグランゲイザー内の電送機の内部だ。考えてみれば十年ほど使ってなかったよ、これ。
違和感を振り払ってハッチを開けコントロールルームに飛び込んだ時、グランゲイザーはすでに高度二百キロメートルに到達していた。二分弱でさらに高度百キロメートルまで降下。それまでに僕ははっきりと目標を把握していた。長さ百五十メートルほどのずんぐりした物体。シールドは発生しているがもはや大人しく着陸できるような速度じゃない。

少なくともこれは地球外船だ。そして最近地球の周囲にいる船で僕が把握していたのはただ一つ。ラバードの船だった。

と、公宙(パブリック・スペース)航行の緊急時周波数にSOSが入った。
「地球担当のスタージャッジ0079だ。状況を説明してくれ」
「はん。坊やか。ちょっとトラブルでね」
ラバードの声は歪んでいた。通信状態もむちゃくちゃだろうし。しかし、こんな状態の船にラバード本人も残ってるとは‥‥。
「何人残ってるんだ? 高度二十キロメートルまでに脱出できないか?」
この熱では生体波のキャッチは不可能だった。
「フラーメ達は逃がした。わたし一人だ。ちょっと動けなくてな。かまわんさ。お得意の奴で吹き飛ばしてくれていいが、その前に‥‥」
「わかった。すぐそっちに行く」
「な‥‥!?」

高度二十キロメートルより下がったら地球の大気圏内飛行物とぶつかっちまう。ラバード一人ならそれまでに引っ張り出せるだろう。まだなんだか喚いてるフォンを切ると僕はハッチから外に飛び出す。移動カプセルに包まれて、ひたすら落下するラバードのシップめがけて急降下した。
相手はでかい分空気抵抗も大きいからすぐ追いついた。身体一つになった瞬間強い熱波を感じだが、今度はサポートアーマーが僕の身体を覆い守ってくれる。ものすごい勢いで落下する船――それも極めつけに熱い!――にとりつくのはちょっと大変だったが、ハッチは既に剥がれかかっていてすぐに中に入れた。

「ラバード、どこだ!」
コントロール区画はどっちだ。中央か、前方か。そこらじゅうが軋んで音をたててるし、外郭が崩壊してる場所もある。僕は大声を張り上げながら通路に沿って飛んだ。と、前――というか下――の角からニシキヘビのようなものがのたくってきた。ラバードの髪! 僕はそいつを掴んでぐいっと引き上げた。

「レ‥‥レディの髪を、なんだと思ってる」
つり上げたマグロ‥‥もといラバードは一応文句を言ったが、いつもの勢いがまったく無い。腹部を押さえ込んでる。
「大人しく掴まってろよ」
僕はラバードの身体に手を回すとさっき見つけた破損箇所から飛び出した。グランゲイザーからのデータによれば現在の高度は約二十三キロメートル。いいだろう。

「ヴァニッシュ」
水平距離にして三百メートルほど離れてから、僕は落下する船を消滅させた。暗い夜空に一瞬のストロボ。落下物を捕捉していただろうNASAその他に、また"謎"を提供してしまった。でも、謎への好奇心が最後には人を宇宙に連れて行くんだ。

「大丈夫か、ラバード?」
「ああ‥。四サトゥルもあれば‥自己修復できる。それより‥‥危険なのは、お前のほうだ」
ラバードの囁くような声に、僕はぎょっとした。
「スタージャッジ。‥マリスの狙いは、お前だ‥‥。あいつは‥‥」
「どういうことだ、ラバード?」
見るとラバードは"眠って"いた。修復活動の優先順位が上がってしまったらしい。

マリスって誰だ? 僕が危険って? ラバードのトラブルとどう関係してるんだ?

長い付き合いとも言える長身の女ビメイダーを抱えたまま、僕はしばらく夜の空に立ちつくしていた。

 * * *

意識の無いラバードと共に、僕は遊びに来ていた島の山中に着地した。キャンプ場以外での野営は禁止だから、夜の森は真っ暗でまったく人気が無い。ラバードを横たえてみると、腹部から背中のかなり広い範囲にコロイドシートがべったりと貼ってあった。どうもかなりのダメージを受けたらしい。

ビメイダーの身体は頭脳および制御系からなるコア・システムと、筐体と駆動システムを兼ねるボディ部に分けられる。筐体にあたる強化細胞には未分化細胞が配置されてるから、損傷してもかなりの短時間で修復が可能だ。ちなみにコアや駆動系などの機械部分は自分専用のドック(製造カプセル)に戻らないと無理。僕のドックはもちろんグランゲイザーにある。ラバードが四サトゥル――約五時間――で修復できると言ったのは、コアや駆動系には致命的な損傷がないことがわかってるからだ。

本部とは既に連絡を取った。スタージャッジの破壊に頻繁に関わっているSJキラーとして知名度がある犯罪者は五名ほどいるが、それが地球圏に入ったという情報は無いそうだ。だいたいビメイダーは記憶のバックアップさえあれば生き返れる。再度構築したボディにバックアップをリストアすればいいだけだ。特にスタージャッジは職務上短いタイムスパンでバックアップを取るし、本部にも転送された記憶データとそれぞれのドックがある。だから本気で"消す"のはほとんど無理。それにそもそも地球みたいに売りが少ない僻地惑星の担当者を狙っても見合うようなことはあまり無い。

僕は陽子に連絡をとるとラバードを担ぎ上げてバンガローに向かった。
陽子のそばにいた方がいい。ラバードの話によっては陽子をグランゲイザーに連れて行こう。陽子のエネルギーのことを知ってる者はいないはずだけど、僕より陽子に危機が迫ってると考えた方が今は自然な気がする。幸い僕らのバンガローは一番高い位置で、ほとんど山の中。こんな時間に歩き回っている人間もいないだろうが、センサーの感度を上げて周囲に気を配りつつ、ラバードを大急ぎでバンガローに運び込んだ。

「こっちよ」
陽子が示した部屋の隅には借りたマット二枚が縦に並べて敷いてある。陽子にとってラバードは「髪の長い背の高いおばさん」で、だからこうしてくれたんだろう。
「ありがとう」
ラバードに向けられた陽子の優しさが嬉しい。僕はラバードを横たえ、でも一枚のマットは外した。これからのことを考えると陽子にはきちんと眠っておいてもらいたい。

陽子が毛布を広げてラバードに掛けてくれる。
「おばさん、大丈夫なの?」
「大丈夫。少し休めば治るよ。それより君も休んだ方がいい」
僕はもう一枚のマットと毛布をラバードから少し離れた処に敷き直すと、陽子をそちらに促した。

陽子は大人しく毛布にくるまった。普段は物怖じせずに「こうしたい」とはっきり言う子だが、僕の仕事が絡んでくると素直に言うとおりにしてくれる。人一倍好奇心旺盛なのにあれこれ聞いてこないのは、僕を困らせまいとしてるからなんだろう。陽子のそういった点にも僕はすごく感謝してた。

「マゼランは寝ないの?」
陽子の枕元とラバードとの間に座り込んだ僕を見上げて、陽子がそう言う。
「ああ。おばさんが夜中に起きて勝手に暴れたら困るだろ?」
陽子がくすくすと笑った。
「このキャンプ場、夜は騒いじゃいけないのよ。キャンプ・ファイヤーも禁止なの。だから静かにしてね」
「そうだったね。治ったらすぐ帰らせるよ」
「その時は起こしてね。包帯のお礼言いたいの」
「わかった」

陽子の声は眠そうになってきた。今日はかなり山歩きをしたからね。でもラバードが同じ部屋にいても気にならないとは、ある意味剛胆だ。
「‥‥でもマゼランもちゃんと寝ないと‥‥。おばさん、きっと暴れないよ‥‥」
「そうだね。もう少ししたら僕も寝るから。安心してお休み」
陽子の髪をそっと撫でると、陽子の両手が僕の手を挟むように捉えた。ちょっとほおずりして、そのまま目を閉じる。小さな柔らかい掌から、規則正しいゆったりした息づかいが伝わってきた。

ビメイダーは毎日寝る必要はない。まあ睡眠時にはセルフチェックや情報の再整理、明確に意識していない小さな破損の修復も行われるから、同じサイクルで寝る方がボディや電子頭脳をいい状態に保てるのは確かだ。でも実際問題、一週間連続して稼働しても大きな問題は起らないし、睡眠中でもセンサーからの即割り込みで、一気に正常の活動レベルに復帰できる。

スタージャッジは全てビメイダーで、だから僕がビメイダーであることは自明だ。だけど陽子はそれを知らない。というか「ビメイダー」がどういうものなのか、陽子には説明してない。ビメイダーの電子頭脳の基本判断セットは、作られるビメイダー毎に対話によって個別に作られるので、ロボットのように同じものをいくつも作ることはできない。つまり地球にはビメイダーに相当する存在は無いわけで、説明が難しくて‥‥‥‥。

――いや、説明しようと思えばいくらでもできるのだろう‥‥。‥‥ただ‥‥僕が作り物であることを知ったら‥‥陽子はどんな反応を示すのか‥‥。

ビメイダーと自由人の最大の違いは、まず僕らが作られた存在であること。そして誰かの所有物だってことだ。たとえば僕の所有権は未接触惑星保護省にある。
僕は作られてすぐに地球に来た。宇宙に戻るのは、数百年に一度のオーバーホールの時ぐらい。だから世の中の自由人がビメイダーとどう付き合っているのか、実はあまり知らない。ただ僕が地球から追い出した違反者の中には、僕が「ビメイダーである」という理由で侮蔑の物言いをする者も多かった。ある意味、僕は保護省の装備だから、それに捕まるのも腹立たしいんだろう。だからこの前のシリウス星系の維持省の役人のように、あんな敬意をいきなり払われると、ちょっと驚いてしまう。

実は被所有が解除されて自由人と同等の権利を得ているビメイダーも存在するそうだ。ビメイダーだからもちろん自然人じゃないけど、でも自由人‥‥ってことになるのかな? どうするとそうなれるのか、僕は知らない。自由人って言葉は魅力的だが、だからって自分が自由人になると言われてもピンと来ないしね。まあとにかく、僕にとっては、おおむね自由人=自然人なんだ。

僕は地球のホモ・サピエンスのデータに合わせて作られた。指や手足、頭部の付き方、五感センサーの配置なども地球人と全く同じだ。地球人の食物をエネルギーに完全変換する有機物分解機能を持っているから、飲食をしてみせても故障することはない。体表面を損傷した時に出る循環液も血液と全く同じように見える。身長百七十八センチメートルの標準体型だがパーツの関係で重量は百キロ超。その点は少々注意が必要だし、もちろん解剖されたらすぐばれる。でも普通に生活している時に宇宙人と怪しまれたことは一度も無い。陽子と並んで歩いていても、誰も何も不思議に思わない。

それでも僕は陽子とはあまりに異質な存在なんだ。

2008/5/5

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